Follow @ryokn_10

【動画あり】森慎二の死因の多臓器不全、酒、球団関係者のコメントまとめ

 

 

 

 

 

休養していた事すら知らず、現役の1軍のコーチが亡くなったニュースは巨人ファンである事からキムタクを連想せずにはいられなかった。西武ファンの心中お察しする

 

 

f:id:ryocuu:20170629043339j:plain

 

 

西武ライオンズの投手コーチ・森慎二氏(42歳)が6月28日午後0時10分、多臓器不全のため、福岡市の病院で死去した。6月25日のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)の試合前に体調不良を訴え、西武球団から6月27日に休養することが発表されていた。鈴木葉留彦球団本部長は「前の日まで元気にしていた。病気の兆候などは分からなかった。急だった」と説明した。

 

辻監督は、この日の試合前練習を終えた後、球団から説明を受けたという。「ショックです。数日前まで優勝を目指して一緒に戦っていた仲間だから…。つらい」。目を潤ませながら、沈痛な表情で話した。選手、スタッフにはロッテ戦後、鈴木球団本部長から説明があった。

 

 

 

ざっくり森慎二紹介

 

 

特徴的なフォームから150kmオーバーのストレートと落差の大きいフォークを武器に、豊田の前でセットアッパーをやっていたくらいしかイメージがわかなかったので、調べてみた。

 

1974年9月12日生まれ。山口県岩国市出身。

1997年ドラフト2位で西武に入団。

2002、03年には最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。

05年オフにポスティングシステムを利用し、米大リーグに挑戦。デビルレイズに入団した。

09年から独立リーグ石川ミリオンスターズで選手兼任コーチを務め、10年に監督に就任。

15年から西武で2軍投手コーチ兼育成コーチに就任。16年途中に1軍投手コーチとなった。

プロ通算431試合に登板し、44勝44敗50セーブ。防御率3・39。

 

 

移籍1年目の2006年は右肩痛の影響で調整が遅れ、初登板したオープン戦で3球目を投げたときに右肩を抱えたままうずくまってそのまま交代となる。診断の結果、右肩を脱臼しており全治1年を要する重傷だった。

 

その時の事を後にこう語っている

 

──3球目を投げた瞬間、マウンドでうずくまってしまいました。
「ボールを離す直前に、肩がポコッと外れてしまいました。超合金ロボットのおもちゃの部品が壊れるみたいに。『あっ、右腕がとれた……』と思いました。正確には後ろに外れたのですが、自分としては『腕が飛んだ』ように感じました」

 

──そのとき、何を思いましたか。
「これは『もう終わったな』と……二度とボールは投げられないと」

「それはもう、ものすごい痛さで、えづくほどでした。そのときに自分のなかにあったのは、『痛い!』というのと『もう終わったな』という感情が半分半分。腕がポロンと落ちるんじゃないかと感じたので、本能的に左手で右腕を支えました。でも、関節が外れているから、重くて重くて……自分の腕とは思えないくらい。そのままの体勢ではいられなかったので、マウンドにしゃがみ込んで、右腕を足の上に置きました」

 

──本当に一瞬のことですよね。
「上腕の骨頭が脇腹に当たりゴリゴリしているのがわかって、『まだついている』と気づきましたが。脇腹から腕が生えているような感じ」

 

ポスティングシステムを利用してメジャー球団から入札があってメジャー契約した日本人選手がメジャー公式戦に出場できなかった初めての例であり、メジャーリーグ傘下のマイナーリーグ公式戦にも一度も登板していない。

 

 

 

youtu.be

 

 

youtu.be

 

 

 

死因の多臓器不全

 

wiki引用

 

 

生命維持に必要な複数の臓器の機能が障害された状態のこと「多臓器」の定義はやや曖昧であるが、日本では多くの場合、肺・肝臓・腎臓・消化器系・循環器系・中枢神経系・凝固・線溶系の7つの機能のうち2つ以上が短期間ないし同時に不全になったときとされる。

 

 

昔の森コーチに関しての記事を読んでいくと毎日ビール20~30杯、か、焼酎一升を毎晩やってると書いてある、現役時代はこれでも全く次の日問題なかったけど、引退後は酒が抜けなくなってきて、 ビールを15杯に控えるようにしてるみたいな記事があった。自殺志願者やね

 

 

42歳で前の日までプロ野球の投手コーチという仕事をしていたとなれば、がんの末期とは考えられません。もちろん老衰もあり得ない。となると、私が推測できるのは以下の3つです。劇症肝炎、感染症による敗血症、急性白血病。

 もともと慢性ウイルス性肝炎をもっておられたどうかは分かりませんが、肝炎ウイルスのキャリアが、大酒した後などに突然、劇症肝炎に変わることがあります。これなら入院3日で手の施しようもなく亡くなることはあり得ます。ですが今や肝炎ウイルスは飲み薬で退治できる時代ですから、B型でもC型でも肝炎ウイルスのキャリアであれば治療を開始もしくは終わっていてしかるべきです。

 次に感染症による敗血症ですが、ショック状態から播種性血管内凝固症候群(DIC)という状態になると、あっという間に多臓器不全に進行します。その感染症ですが、いまの日本で考えられるとしたらマダニが媒介するウイルスによって起こる重症熱性血小板減少症候群(SFTS)という病気で、今年に入ってすでに50名以上の方が亡くなっています。ただ、ほとんどが80歳前後のご老人ですので、これも考え難いところです。

 最後に残るのは急性白血病です。急性白血病はざっと11種類の病型に分類されており、30年前私が医者になった当時など、診断がついて1週間以内に95パーセントの人が亡くなるとか、骨髄を採取して検査してもその結果が出るまでに亡くなるとか、一刻を争う「不治の病」でした。ただ、この10年ほどで素晴らしい薬が次々開発され、95パーセントの人が亡くなるタイプが95パーセント治るようになり、これで死なせたら逆に医者が訴えられるくらい「治る病気」になりました。

 しかし、それでも診断が確定してすぐに治療にとりかかった場合の話で、診断や治療が上手くいかなければ、数日で死に至ることは今でもあります。言い訳する気はありませんが、この少ない情報で予測するのは非常に難しく、このくらいしか思い浮かばないというのが本音ではあります。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

・球団関係者のコメント

 

顔色が白くなっていた。

 

 

 

・デーブ大久保のコメント

 

先週ヤフオクで会っときに右の脇腹や右肩が痛いとうなっていた

顔が真っ青で練習の時もグラウンドに出てこなかった

本人は命は大丈夫と言っていた

 

 

 

・伊東勤のコメント

「今回来ていなくて心配していたけど、まさかこんなことになるとは思っていなかった。一緒にやって思い出もあるし、ボールを受けていた。彼で勝った試合が数多くあるし、思い出がたくさんある。現役時代に一緒にやっている人が指導者としてグラウンドに戻ってくるのが自分の楽しみでもあったから、あまりに早くてショックを受けている。ご冥福をお祈りします」

 

 

 

・石井貴

 

いい男だった。明るくて、人懐っこくて…。当時から(松坂)大輔とか、若い選手にも本当に慕われていた。自分もつい先日、メットライフドームで会ったばかりだった。彼の故郷は山口。プロ野球OBのイベントで下関に行った話をしたら「僕の故郷(岩国)は反対側ですよ」と笑っていた。

 練習熱心で、よく走っていた。そんな姿が今も脳裏に思い浮かぶ。俺が俺が、というタイプじゃなかったが、マウンドでは吠えることもあった。本当に明るくて、いい男だった。

 

 

 

・松中信彦

 

 (体調不良の知らせを聞いて)電話したんだけど、つながらなかった。いつも電話したら返信があるんだけど、なかったからおかしいなと思って心配だった。先週も一緒にこっちで食事をして飲みに行ったので、まさかこんなことになるとは…。一番かわいがっていた後輩だったので、本当に残念。信じられない」

 

 

 ・十亀剣 

 

 「頭ごなしではなかった。教わったことを生かし試合で結果を残すことしか自分にはできない」と活躍を誓った。30日のオリックス戦で先発予定の菊池は「気持ちの整理がついていない」

 

 

 

・ 高橋由伸

 

 「びっくりしました。年も1つしか変わらない。状況が分からないので、びっくりしたというか、残念としか言いようがないです。大柄でフォームもダイナミックで、メジャーにも挑戦した投手。ご冥福をお祈りします」

 

 

・デニー友利

 

「昨日の試合後に連絡をもらった。理解できないというか、唐突すぎて現実的じゃない。早すぎるし、受け入れるには時間がかかる。西武のメンバーは仲がいいから職場というより、身内に近い。かなり動揺しています」

 

 

・松井稼頭央

 

「びっくりしました。入院したのは聞いてたんですけど、昨日ニュースで知りました」。西武時代にともにプレーした松井稼は「西武で一緒にやってかわいがってもらったし、球場で会えば喋っていましたから」「良き先輩であり、1歳上だけど良き友達だった。(食事などに)一緒に誘ってもらっていました

 

 

・豊田清二

 

「こっちも抑えとして必死だったし、前(のイニング)で慎二がいい投球をしたら『もっといい投球をしなきゃいけない』と気合が入った。結果として02年は彼が最優秀中継ぎ投手、僕が最優秀救援投手になってチームも優勝した。いい成績を残せた(両者とも同タイトルを2年連続で受賞)のは、前で彼がしっかりと抑えて、バタバタすることなく、回の頭からいけたおかげ」

 昨オフ、知人を介して数年ぶりに食事をともにした。「お互いに今は同じような立場だし、積もる話もあって」。下戸の豊田コーチにしては珍しく夜ふけまで語り合ったという。別れ際に森さんと交わした言葉は「来年のオフも、こうして会おう」

 

 

 

 ・奈良原浩

 

びっくりしました。この間まで元気だったので。入団したときは前田(勝宏氏)と2人剛球投手で、速いピッチャーだった。現役が重なったのは1年。コーチになってからは一緒にゴルフをしたりした。身近なのでショック。とにかく野球に真面目に取り組んでいた。貴重な人間を失ってしまった」

 

 

・田辺徳雄球団本部チームアドバイザー

 


「昨年チームが苦しい時に上(1軍)に上がってきてくれ、ブルペン担当で頑張ってくれた。まだ若い。これからというのに…。非常に残念です」

 

 

・潮崎哲也2軍監督

 


「これから西武ライオンズを強くしていくための力になってくれる人だった。残念です。知らせを聞いた時言葉を失った」

 

 

 ・横田久則ファームディレクター

 


「口数は多くないが、純粋に野球が好きな男だった。僕はBCリーグ・富山で、彼は石川で監督をやっていたので、当時“なかなかうまくいかないよね”などと会話をした。その印象が大きいですね」「あまりにも若すぎますよね。まさかこういう形で別れが来るとは思わなかった」

 

 

・土肥義弘投手コーチ


「慎二さんとは長いけど、コーチとしてはピッチャーが世代交代の時だった。ピッチング技術もそうだが、ピッチャー陣を変えていこうと練習、環境など、色々話し合いながらお互いを認めて意見を出しあってやってきた」
「心の整理はつきにくいけど、慎二さんが望んでいるのは、ここでしょんぼりしてはいけないということ。選手たちにも話すけど、どんどんゲームが来てしまうのがプロ野球。特殊な世界なので、しっかりアグレッシブに野球を楽しんでやる。それが慎二さんが望んでいることだと思う」

 

 

・森繁和監督

 


「頑張りますと言っていたが、急にこんなことを言われると…な。もちろんショックだが、ピンと来ない」
「一緒の釜の飯を食って、優勝も何回も経験した仲間。寂しい限り。西武の連中が優勝、CSに出て、辻がアイツの分までやってくれれば嬉しい」

 

 

・岸孝之投手

 


「急なことでびっくりしています。ライオンズの頃は、いろいろと相談に乗って頂いていました。慎二さんの次にライオンズの背番号『11』をもらった者として、その『11』に恥じないように頑張ってきました。その気持ちを忘れずに、これからもプレーしていきたいと思います。ご冥福をお祈りします」

 

 

 

 

 

西武は30日のオリックス戦(メットライフドーム)で追悼セレモニーを行うことを決めた。献花台を設置し、ベンチには森投手コーチのユニホームが掲げられ、選手は喪章を着けて試合に臨む。

 

 

 

関連記事

 

 

 

www.ryocuu.com

 

 

 

www.ryocuu.com

 

 

 

www.ryocuu.com

 

 

 

www.ryocuu.com